勝ち負けにこだわると生じる心とは?

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第十五章」にある法句二〇一について、その内容を紹介します。

『ダンマパダ(法句)』全文の一覧はこちら

勝ち負けにこだわること

人に勝つことが怨みのもとである。

負けた人は苦しい思いで横になる。

心が安らいでいる人は、

勝負を捨てて幸せな思いで横になる。

「法句二〇一」

パセーナディ王の物語

この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、コーサラ国の王であるパセーナディの敗北について説かれたものです。

パセーナディ王は、カーシカ村の近くで甥のアジャーサットゥ王と戦い、三度も敗れてしまいました。そして王は三度目に考えました。

「あの乳臭い青二才にさえ勝てないようでは、生きていても意味がない」

そこでパセーナディ王は、食べ物を食べることができなくなり、病に臥してしまいました。

このことが知れ渡り、比丘たちはブッダに報告をしました。ブッダは

「勝った者も怨みを生み、負けた者も苦しみに臥します」

と言って、この偈を唱えられました。

これがこの因縁話です。

勝ち負けにこだわると苦しみを生み出す

努力することはとても大切なことです。努力しなければ目標を達成することはできません。

しかし、その努力の方向性を間違ってはいけません。すなわち、他人と比較して勝った負けたと一喜一憂し、その結果にこだわってはいけません。

勝った者は、相手に勝つことで相手から怨みを受け、負けた者は相手に敗れたことで負けた苦しみにさいなまれることになります。

勝ち負けは、あくまで努力の結果として表れたものにすぎません。そこにこだわってしまうと、相手に勝ったときには「あいつに勝った」と優越感が生まれ、負けたときには「あいつに負けた」と劣等感が生じ、優越感や劣等感は自分自身を苦しめていくことになります。

ブッダは、自己の精神向上のために努力するようにと教えています。自己の精神の向上、能力の向上の末に、勝ち負けの結果が生じるだけなのです。

誰かと比較するのではなく、戦う相手は自分自身であることを忘れないようにしましょう。

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