怠けている人はどうなるのか?努める人と怠ける人の行く末の違い

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第二章」にある法句21,22,23について、その内容を紹介します。

怠けているとどうなるのか?

努めることは不死の道 なまけることは死への道

努めるものは死にゆかず なまけるものは死者のよう

「法句21」

これについて明瞭に知り 努めの中にある賢者らは

聖者の境地に楽しんで 努めの中に満ち足りる

「法句22」

たえず禅に勤しんで いつも堅固勇猛の

かれら慧者は無上なる 安穏無碍の涅槃に触れる

「法句23」

女性たちの悲惨な死についての物語

この法は、ブッダがコーサンビーに近いゴーシタ僧院に住んでおられたとき、サーマーヴァティー妃、マーガンディヤー妃を主とする女性たちの悲惨な死について説かれたものです。

マーガンディヤ・バラモンの娘であるマーガンディヤーは天女のように美しく、彼女にふさわしい夫が見つかりませんでした。

ブッダはマーガンディヤーの父であるバラモンに不還果の機根があることを見られて、彼の前に現れました。かれはブッダのすばらしい姿を見て、「ぜひ娘の夫に」と願いました。

ブッダはバラモンに、「自分は出家以来、魔に誘惑されてきましたが、タンハー(渇愛)、アラティ(不快)、ラガー(貪欲)という魔の三娘にも敗れませんでした。しょせんは誰も糞尿に満ちた者でしかない」と話をされました。

それを聞いてバラモンも妻たちもたちまち不還果を得ました。しかし、娘のマーガンティヤーは両親とは逆に、ブッダに憎悪の念を懐いた。「いつかふさわしい夫を得て見返してやる」と。

その後、マーガンティヤーは、コーサンビーのウテーナ王に第一妃として迎えられました。彼女は、まずブッダに帰依しているサーマーヴァティーという王妃を陥れるため、王にこう言いました。「サーマーヴァティーとその侍女たちがあなたの命を狙っています」と。しかし、王はそれを信じませんでした。

次に、町の人々に「沙門ゴータマが来たなら、罵り、追い返してほしい」と言って、ブッダを罵らせました。ブッダは「七日間、罵りは続くが、八日目には止む」として、すべてに耐えました。

さらに彼女は、サーマーヴァティーの侍女たちを陥れようとしましたが、計画はことごとく失敗しました。

最後に、サーマーヴァティーと侍女五百人を楼閣に誘って、火を放たせました。サーマーヴァティーは燃える火の中で侍女たちを諭しました。「はじめも知らぬ昔から我らは輪廻を経巡っています。このように焼かれている我らの自体を限定することは、ブッダの智慧によっても困難です。怠らず務めるように」と。そして静かに瞑想をし、思惟して、ある者は一来に、ある者は不還に達しました。

この惨事を知ったウテーナ王は、サマーヴァティーの徳を偲び、同時にマーガンディヤーとその関係者をすべて捕らえて、火あぶりなどの極刑に処しました。

後にブッダは、弟子たちに、このような悲惨な死を遂げた彼女たちの前世について語られました。弟子たちはブッダに尋ねました。「彼女たちは焼かれてしまいましたが、その中で誰が生き、誰が死んでいるのでしょうか」と。ブッダは答えられました。「怠けている者はたとえ百年生きても死者と呼ばれます。怠けず努めている者はたとえ死んでも生きています。それゆえ、マーガンディヤーは生きていても死者と呼ばれます。サーマーヴァティーたちは死んでも生きているといわれます。なぜなら、怠けず努める者は死ぬことがないからです」と。

これがこの因縁話です。

怠ける人と努める人の違い

「努め」という言葉の原意は「不放逸(ふほういつ)」であり、怠けないことをいいます。それは例えるならば、象の足跡がジャングルに住むどんな動物の足跡も包み込むようです。ありとあらゆる善法の根本をなして、合一にいたらせるものです。

「不放逸」こそが、もろもろの善法にあって第一のものといわれます。

偈の中にある「不死」とは、涅槃のことです。涅槃は次の世界に生まれることのない状態をいうので、老いることもなく、死ぬこともない、それゆえに不死といわれるのです。

「不死の道」とは、不死にいたること、涅槃にいたるための方便です。

さてそれでは、「努めるものは死にゆかず」とはどのような意味になるのでしょうか。それは、怠けている者には輪廻の苦しみがあり、死んだ後にはどこかに生まれ変わって再び苦しみの生活をいとまなければいけないが、務めているものはその輪廻の苦しみから抜け出すということです。

つまり、怠けて放逸している者は、老いなどにとらわれて苦しみから解放されることが無く、生きていても死者のようであるとするのです。また反対に、努めて不放逸にしている者は、その結果として悟りの智慧を獲得して、すみやかに涅槃という真のやすらぎの境地にいたります。そして、次の世界に生まれ変わることがありません。それゆえに、生きていても死んでいても、死ぬことが無いというのです。

怠けることなく努め励み続けることで、ようやく結果が得られるのです。それは出家も在家も同じこと。どんな時も目標に向かって努めなければいけないのです。

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