煩悩とは心の垢のこと 掃除をすることでとるべき本当の汚れとは?

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第二章」にある法句25について、その内容を紹介します。

心の垢を取り除くこと

奮起によって努めによって 自制によって調御によって

暴流(ぼる)さえも侵さない 島を慧者は作りうる

「法句25」

チューラパンタカの物語

この法は、ブッダがヴェール林(竹林精舎)に住んでおられたとき、チューラパンタカについて説かれたものです。

ラージャガハに、ある長者の娘がいました。彼女は家の奴隷と関係を結んでしまいました。二人は両親に知られることを恐れて出家をします。そしてやがて妊娠し、家に戻る途中で出産をしました。子どもはパンタカと名付けられました。また途中で第二子が生まれました。

そこで、先に生まれた子はマハーパンタカ、あとに生まれた子はチュラーパンタカと呼ばれました。

成長すると、マハーパンタカは出家をしました。精進努力をして、阿羅漢果を得ました。そこで弟にもこの安らぎを感じさせたいと思い、チュラーパンタカを出家させました。

出家したチュラーパンタカも、一生懸命に頑張りました。しかし四ヶ月たっても「よき香りの紅蓮のコーカナダは 朝に咲き、香りが失せず 見よ、そのように輝くアンギーラサを 空に輝く太陽のごとし」というひとつの偈さえ理解することができませんでした。

その様子を見ていた兄マハーパンタカは彼をみかぎり、僧団をでて還俗することを勧めました。仕方なくかれは、還俗することを決意しました。

そのとき、ブッダが現れてチュラーパンタカを引き留めて、激励されました。そして、輪の印のついた手のひらかれの頭に触れて、このように言われました。「チュラーパンタカよ、朝は太陽のもとで東を向き、『垢をとること、垢をとること』と言ってこの布をこすりなさい」と。

チュラーパンタカは、ブッダの教えの通りに実践しました。布きれはまもなく汚れてしまいました。それを見たかれは、「最初はこの布きれも純白であった、しかし今や汚れている、諸行は実に無常である」と思い、さらに観の行法に励みました。

ブッダはチュラーパンタカの心を知って、「布きれが汚れて、垢がついたと思ってはいけない、そなた自身に貪りの垢があるのです、それを取り除きなさい」と言われました。教えを聞いたかれはたちまち無碍解とともに阿羅漢果を得ました。

のちにブッダは、かれにちなんで「この教えのもとで精進する者は出世間法という資産の持ち主になります」と言われました。

これがこの因縁話です。

心の垢を取り除くこと

かの有名なパンタカのお話です。

チュラーパンタカは掃除をすることによって悟りを得たといわれがちですが、そうではありません。

「奮起」は精進、「努め」は不失念、「自制」は清浄戒、「調御」は感官の抑制のこと。

この四つの法をそなえ、智慧を得た人は、極めて深い輪廻の海に、 暴流の煩悩も侵すことができない阿羅漢という悟りの境地(島)を作ることができます。

ここにいたるためにチュラーパンタカが行ったことは、瞑想による心のコントロールです。純白であった布きれが汚れ、垢がついていく様子と、自分の心にある煩悩の垢を重ねあわせ、それを取り除くことが大事であるということに気がついたのです。

つまり、この物語においても、念を失わないことの大切さが強調されているのです。

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