怠けている者は放っておけばいい

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第二章」にある法句29について、その内容を紹介します。

怠けている人を待つ必要はない

怠惰者の中にあって努め

惰眠者の中にあって目覚める

慧者はまるで駿馬のしょうに

駑馬を振り切り進みゆく

「法句」29

二人の比丘仲間の物語

この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、二人の比丘仲間についてとかれたものです。

かれらはブッダから瞑想の対象物を得て、森の精舎に入りました。

そのうち一人は適時に薪を集めて、火鉢を用意し、夜の十時頃までは坐って、若い沙弥たちと語り合いました。

もうひとりは精進に努め、またかれに忠告しました。

「友よ、そのようなことをしてはいけない。怠ける者には四悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)が寝室のようになります。諸仏というものは、へつらいによってお喜びになることがないのだ」と。

怠けの比丘は、その忠告を聞こうとはしませんでした。

ついに、努めの比丘が歩く瞑想を終えて部屋に戻るころを見計らい、戻ってきたようにして、「怠け者よ、横になって眠るために森へ来たのか」と言い、自分のすみかに入って眠ったのです。

努めの比丘は、彼にかまわず修行に励みました。夜の中分には休息をし、深夜には再び起きて沙門の法を行い、やがて無碍解とともに阿羅漢果を得ました。

雨安居を終えたふたりはブッダのもとに行き、報告をしました。

ブッダは、怠けの比丘による話を聞いて、その非を指摘し「そなたは足の遅い馬のようなもの、かれこそ足の速い馬です」と言われました。

これが法句29の因縁話です。

怠けている者を待つ必要はない

念を欠いて、日常生活のすべての行いにおいて怠けている者の中にあって、念を広大にして努力する満足者は、足の遅い馬を振り切って走りゆく駿馬のようであります。

怠けている人を待つ必要はありません。他人と比べることをせず、ただ自分がすべきことのみに集中して、努め励むべきです。

怠けている人をわざわさ気にかけ、待ってあげることは、かえって自分自身の怠け心を誘発しかねません。怠けはその人自身の問題です。自分の目標に向かって、突き進んでいきましょう。

また、愚者が夜はここで住む、昼はここで生活をするなどと言って、自分の身の置き場所を作ろうとするうちに、慧者は業処という、心の置き所を学びます。

つまり、真の心のやすらぎを自分の外側に作るのではなく、心の中に安らぎを見いだして「今ここ」を見つめるのです。

そのようにして一切の煩悩を捨て去って、この世の苦しみから解放される法、すなわち涅槃を手に入れるのです。

このように不放逸に努め励む慧者は、洞察によって怠けている愚者を振り切って、輪廻を捨て去り、輪廻を離れていきます。

不放逸の実践を修し努め励むことは、慚愧が必要不可欠です。

まずは悪しき不善の心を恥じて、外には畏れの心を持ちます。この慚愧をそなえることから、仏法の行が可能となるのです。

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