ブッダの教え『ダンマパダ』について、ここでは第3章「心」にある法句38,39について、その内容を紹介します。
心の安定が真のやすらぎを得る
心が安定しておらず
正しい法をよく知らず
信が動揺する者に
慧の円満することはない
法句38
心が濡れることのない
心が打たれることのない
善と悪を超えている
目覚めた者に恐れなし
法句39
チッタハッタ長老の物語
この法は、ブッダがサーヴァッティ(祇園精舎)に住んでおられたとき、チッタハッタ長老について説かれたものです。
ある善家の男であるチッタハッタが、見失った牝牛を探して森に入りました。
そこで牝牛を見つけましたが、非常な空腹を覚えたので精舎に入りることにしました。
そこで、残り物でありましたが、充分な食べ物が与えられました。
チッタハッタはこのように思いました。
「自分はどんなに毎日働いても、このような美味しい食べ物を得ることはできない。精舎の生活は楽なものだ」と。
そこでチッタハッタは出家しました。やせ細っていた体も、みるみる太っていきました。
しかし、やがて出家生活にも飽きて、還俗してしまいました。
そして、もとの生活をはじめると、また痩せてしまったので、「やっぱり出家しよう」と考えて、再び出家をしました。
このようにして、かれは出家と還俗を六度も繰り返しましたが、ある日妊娠している妻のあまりにもだらしない寝姿を見て、世の無常を観ました。
「私はこれだけ出家をしたが、彼女に執着をしたために、比丘としてとどまることができなかったのだ」と知り、七度目の出家を決意しました。
その出家は簡単に認められませんでしたが、ついに許可されることができました。
チッタハッタは懸命に精進し、数日のうちに阿羅漢となりました。
比丘たちは誰もこれを信じることができず、ブッダに尋ねることにしました。
するとブッダは、このように言われました。
「比丘たちよ、チッタハッタ長老は心が定まらず、正法を知らない間は行ったり来たりしました。しかし今や、彼には善も悪も捨てられています」と。
これがこの因縁話です。
心の安定に目覚める
人の心は不安定なものです。
たとえば馬の背中に置かれた瓶が、馬が一歩一歩進むたびに、右へ左へ、前へ後ろへと、ぐらぐら揺れて安定することが無いように、人の心も目先の欲望を求めて揺れ動き、安定することがありません。
それは、貪りや怒りなどの煩悩に振り回されているからです。
正しき仏教の教えを知ることもなく、信じることもできない人は、いつまでたっても智慧を得ることができません。
しかし、貪ることがなく、怒ることがない人。正しき仏教の道をゆく人。真のやすらぎに目覚めた人には、これらの煩悩に惑わされることがありません。
すなわち、心の安定を得ることができるのです。