簡素化されつつあるお葬式。今では家族葬が一般的になりました。
ところで、なぜお葬式をするのでしょうか?
宗教学者の島田裕巳氏が『葬式は、要らない (幻冬舎新書)』という本を出版し、話題となりました。しかし、果たしてそうでしょうか。
お葬式には、きちんとやっておくべき理由があります。
ここではお葬式をやるべき大切な理由を紹介します。
お葬式とは
そもそもお葬式はどういうものなのでしょうか。
お葬式は「葬儀式」といい、字のごとく故人を葬るための儀式のことをいいます。
家族が亡くなると儀式として次のようなことが執り行われます。
- 枕経
- 納棺
- 通夜
- 表葬式(葬儀)
- 告別式
- 荼毘会式(火葬式)
- 収骨式
- 埋葬式(納骨式)
これら一連の儀式をあわせて葬儀式というのです。
菩提寺がある場合、家族が亡くなったことをお坊さんに連絡するとすぐに駆けつけてくれます。そして、枕経をはじめ上記した儀式を順に執り行っていきます。
それぞれの宗派の教えに基づき、死者を弔う儀式を行うことで、供養をするとともに遺族の信仰の増進と心の安らぎを得るのです。
しかし、近年では菩提寺がない場合や、葬儀社にすべて任せてしまう場合が増えてきました。費用などの都合もあり、省略できるところは省略したりと、儀式の執り行い方にも変化が生まれました。
現在では通夜、葬儀、告別式、火葬までをお葬式という場合が多いようです。
お葬式をする理由
お葬式は、家族が亡くなってから執り行う儀式の事であることがわかりました。
それでは、なぜお葬式という儀式をするのでしょうか?
それには次のような理由があります。
- 遺体の処理
- 社会的確認
- 悲しみの克服
- 霊魂を鎮める
- 教育のため
順番にくわしく見ていきましょう。
遺体の処理
お葬式の根源は遺体の処理に始まります。「処理」という言葉を使うと少し抵抗があるかもしれませんが、大切なことです。
遺体を放置していたら、腐敗して衛生的にもよくありません。
現在では火葬をして遺骨をお墓や納骨堂に埋葬します。
しかしかつては、遺体を直接土などに埋葬するという土葬をしていました。
火葬であっても土葬であっても、埋葬することによって公衆衛生を守るために必要な処理を施しているのです。
社会的確認
お葬式は人の「死」を確認するためにも行っています。
現在では電話一本で連絡をすることができますが、連絡手段がないような時代、お葬式を行うことによって、人が亡くなったことを親戚や近所の人に知らせるという役割を果たしていました。
近所の人たちは、お葬式が行われていることを見て、その家の人が亡くなったことを知るのです。
近年は家族葬が主流になり、近所の人たちだけでなく、親戚にも死を知らせないということが増えてきました。
故人のご威徳を偲ぶ気持ちは、家族だけではないということも忘れてはいけません。
悲しみの克服
お葬式という儀式を行うことによって、残された家族はその悲しみを克服するきっかけを作ることができます。
突然の家族との別れによって、なかなか気持ちの整理が付かない場合があります。特に、若くして亡くなったり、突然の病気などで伝えたいことを伝えられなかったときなど、悲しみや後悔など複雑に絡み合うような心が生まれます。
そんなとき、お葬式をすることによって気持ちを落ち着けることができます。また、お葬式の時間を通じて自分の心と向き合い、故人と向き合い、気持ちを整理することができます。
お葬式は、悲しみを克服するために必要で大切な時間となるのです。
霊魂を鎮める
「霊魂」という言葉を使うとどこか宗教的な感じがしますが、昔から日本人は、人を生かすための目に見えない不思議な力を感じ取っていました。
肉体を動かすための力、それを「霊魂」と表現しています。
日本で土葬が行われていた時代、土に埋めた遺体の上に石を置くという方法を行っていました。これは、死者の霊魂が再び起き上がらないように石で押さえつけるという役割があったのです。
この石が、のちにお墓へと変わりました。
また、死者の霊魂を鎮めるための儀式が生まれ、次第に仏教と合わさって現在のお葬式の形へと変わっていくのです。
古来より日本では死者に対して畏敬の念を持っていて、それは現代でも変わっていないのではないでしょうか。
亡くなった人に対して、あの世で安らかにしてほしいという気持ちが、お葬式という儀式として形に表れているのです。
教育のため
「死」はケガレでもなければ、忌み嫌うものでもありません。人として生まれたからには、必ず死んでいかなければいけません。
人の死を通して、自分の死を自覚し、これからの生き方に生かしていく。
それが、教育としての意味を持つお葬式のあり方です。
家族葬が増えている現代において、特に若い人がお葬式に出会うことがほとんどなくなりました。
昔は近所の人が亡くなるとお葬式に参列しました。このようにして「死」と出会い、ふれあうことで、命の大切さや死に対する感覚を養っていたのです。
「死」と出会うことは、自分自身の死を自覚し、これからの生き方を見つめ直すきっかけになります。また、他者に対しても自分と同じように命があることを知り、大切にしていこうとする思いが芽生えます。
このような命を考えるための教育の場として、お葬式は大切な役割を持っているのです。
お葬式は誰のためにするのか
「私の葬式は簡素でいい」
「私の葬式はしなくていい」
「私の葬式が負担になっている」
このような言葉をよく聞きます。
子どもや孫など、家族に迷惑をかけたくない、負担をかけたくないという気持ちはよくわかります。しかし、お葬式を含めお墓やその後の法事など、これらの仏事はいったい誰のためにあるのでしょうか?
残された家族のため
お葬式は、故人を想いそのご遺徳を偲ぶために、遺族が執り行うものです。
よく「私の葬式は簡素でいい」「私の葬式はしなくていい」という言葉を聞きますが、どのようなお葬式をしたいかではなく、遺族がどのように送りたいか、を考えるのがお葬式です。
上には、お葬式には社会的確認や悲しみの克服、教育のために行うものだといいました。
人が亡くなったことを知ることができるのは誰でしょうか?
克服すべき悲しみを抱えているのは誰でしょうか?
誰のための教育でしょうか?
すべては残された家族や今を生きている人たちのためなのです。
後悔や二度手間になることも
お葬式をしなかったことによって、後悔をしたり二度手間になったという話をよく聞きます。
友人の母親は、生前に「私のお葬式はしなくていい」「遺骨は散骨をしてほしい」と言葉を残して亡くなりました。
友人は母親の言う通り、お葬式を執り行わず、直接火葬をする「直葬」という方法をとりました。そして、遺骨は海へ散骨し、お墓を建てたり仏壇をお祀りすることはしませんでした。
ところが、自分自身の気持ちにどこか整理がつかないような思いになったといいます。
「お葬式をしなかったけど、母親は本当にあの世で安らかに眠っているのだろうか・・・」
また、散骨をしたのでお墓がなく、仏壇もお祀りしていないので、亡くなった母親に手を合わしたくてもどこに手を合わせればいいかわかりません。
結局、後日あらためて法要を行い、家には簡単なお仏壇のようなものを用意して自宅でお祀りすることにしました。
死んでいくものにとっては、「私のことは何もしなくてもいい」と思いますが、残された人にとっては簡単にそうはいかないという部分があります。
亡くなった人に対して、悔やみ、偲び、手を合わせ、供養をしたいという思いがどこかにあるのです。
「葬式はいらない」って言わないで
大切な家族と死別したことで心を病んでしまい、精神疾患を患ってしまったり、自ら命を絶ってしまう人が少なくありません。
そんな人たちに必要なのが、グリーフケアです。お葬式は、グリーフケアのスタートラインともいえるのです。
『お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)』では、葬式不要論がはびこる現代において、グリーフケアとエンバーミング(死化粧)の日本における第一人者である橋爪謙一郎氏が、その重要性を語っています。
「悲しみの儀式」であるお葬式はなぜ大切か、残された家族の「心」はどのように扱われているのか。
「悲しみに」うまくつきあえない現代、お葬式とどのように向き合っていく必要があるのか、その大切さがよくわかります。
まとめ
お葬式をすべき理由は次の五つです。
- 遺体の処理
- 社会的確認
- 悲しみの克服
- 霊魂を鎮めるため
- 教育のため
歴史的に見ても、かなり昔の時代からなくなった人を想い偲ぶという習慣がありました。
そこには、故人に対する畏敬の念と安らかに眠ってほしいという残された家族の思いがあるのです。
最近は「私のお葬式」と考えられがちですが、お葬式を行うのは遺族です。
きちんとお葬式をするべき理由を理解したうえで、どうしていくのか考えるようにしましょう。