私たちになじみの深い「お寺」
ところで、お寺はいつから始まっているのでしょうか?
どのような歴史があるのでしょうか?
ここでは、お寺の起源や歴史について紹介します。
お寺とは何か、その定義についてはコチラで紹介しているので、あわせてご覧ください。
お寺の起源はインドにある
お寺の誕生はインド
お寺の起源をたずねれば、仏教の発祥の地であるインドにさかのぼります。
お釈迦様はインドの東部にあるブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開きました。
その時にはまだお寺というものはありませんでした。
その後、サールナートの地で、かつての修行仲間であった五人の修行僧に、自分の悟りを説き示しました。
ここに初めて、仏教僧団ができたのです。
お釈迦様と、五人の修行僧は、共同生活をしながら修行生活をしていきました。
お寺は共同生活の場所
このようにしてはじまった仏教教団は、その教えを他の人にも説いてまわり、仲間を増やしていきました。
彼らは托鉢をしながら生計を立て、雨季の季節になると一カ所に集まって共同生活をする必要がありました。
そこで在家の信者によって、竹林や林苑が寄進されて、そこに木造の住居が建てられました。
これを「精舎」といいます。また僧侶が住む所として「僧院」ともいわれます。
現在も、マガダ国王舎城の「竹林精舎」やコーサラ国舎衛城の「祇園精舎」などの遺跡が残されています。
そしてお釈迦様の入滅後、100年以上たつと、お釈迦様の遺骨を祀るための仏塔が重視され、建てられるようになりました。
こうしてお寺には、修行僧の生活スペースである僧院と、仏塔が有する空間を形成することになったのです。
インドの仏堂
僧院と仏塔から構成される古代インドのお寺は紀元前3世紀頃には成立していました。
西暦前後になると、大乗仏教が盛んになると、お寺の形も変わってきました。
大乗仏教ではお釈迦様だけでなく、阿弥陀如来や薬師如来、また観音菩薩や文殊菩薩などの思想が登場しました。
そして実際に仏像として表現され、祀り、礼拝されるようになりました。
そこで、これらの仏像を祀るための仏堂が建てられるようになったのです。
中国のお寺
中国で最初に建てられた白馬寺
仏教がインドから中央アジアを経て中国に伝わったときには、「仏像・経典・僧侶」がセットとなっていました。
そしてインドのお寺と同じく、この3つを包括する場所がお寺となりました。
中国に仏教が伝わったのは紀元1~2世紀頃といわれています。
シルクロードを通って白馬に乗った2人のインドの僧侶が、仏像と経典をもって中国にやってきました。
中国は彼らを受け入れてお寺を建立しましたが、その時に、白馬に乗ってきたので「白馬寺」と名づけられたといわれています。
「寺」はもともと役所のこと
当時の中国には「寺」と呼ばれた役所が存在していました。
インドから来た僧侶を「寺」へと招き入れ、そこで生活をさせていたといいます。
このことから、仏教の建物をさして「寺」と言うという習慣が確立していったのです。
巨大なお寺が完成していった
時代が唐の頃になると、大帝国のもとに仏教諸宗が出そろい、活発な仏教活動が行われるようになりました。
お寺には大勢の僧侶や尼僧が住み、インド以来の僧院、仏塔、仏堂以外にも、仏教教団や宗団として必要な諸堂が次々と設けられました。
多数の僧侶が勉強する「講堂」
ともに食事をする「食堂」
勉学に使う経典を収蔵する「経蔵」
僧侶に合図を送る鐘をつく「鐘楼」
など、たくさんのお堂が造られるようになりました。
このようにしてお寺の規模は大きくなっていったのです。
日本のお寺のはじまり
日本のお寺と仏教伝来
日本では6世紀中頃に仏教が伝来したといわれていますが、実際にはそれ以前から私的に仏教が受け入れられていたといわれています。
日本書紀によれば、仏教伝来の後にこれを受け入れるかどうかの争いが生じました。
中でも有力な豪族だった蘇我氏は賛成したのに対し、物部氏や中臣氏は日本古来の神さまの怒りを買うとして反対しました。
そこで朝鮮半島の百済国から献じられた仏像は、蘇我氏に下賜されて、蘇我氏の家をお寺として、そこに安置されました。
このように家の一部を改造してできたお寺を捨宅寺院といい、仏像を祀る仏堂と僧侶の住居を含む簡易施設であったと考えられています。
蘇我氏のお寺である法興寺
崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏との争いで勝利した蘇我氏は、飛鳥の地に「法興寺」を建てました。
これがのちに飛鳥寺と呼ばれるようになります。
そしてこれを蘇我氏の氏寺としたのです。
氏寺とは古墳のように先祖崇拝の機能をもちつつ、豪族の権威を象徴するものです。
やがて各地の豪族が、蘇我氏にならって氏寺を建立するようになりました。
「奈良時代の仏教」出家して僧侶になるためにはどんな資格が必要だった?
さいごに
お寺のはじまりについて紹介しました。
インドで始まったお寺は、僧院とよばれる僧侶の生活居住区でした。
それが時代とともに、また中国、日本へと伝わる中で、さまざまに変化してきました。
形がちがうとはいえ、僧侶の修行場であり、信仰の場であることには変わりありません。
過去から伝わったお寺は、未来にも伝えていくことが大切なのです。