悪事を働けば必ず自分に悪いことが返ってくる。業の報いについて 

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」にある法句15について、その内容を紹介します。

『ダンマパダ(法句)』全文の一覧はこちら

悪業による報い

悪業のものはこの世で嘆き あの世で嘆き、両世で嘆く

かれは嘆き、かれは悩む 自己の汚れた業を見て

「法句15」

チュンダのものがたり

この法は、ブッダがヴェール林(竹林精舎)に住んでおられたとき、屠豚者チュンダについてとかれたものです。

チュンダは55年間、豚を殺し、食べたり売ったりしながら精計を立てていました。ひもじくなると、車でヴィーヒ米を持って地方へ行き、それで村の子豚を買って車を満たし、帰ってきました。そして家の裏で餌を与えて育て、食べたくなると殺して食べて、残りは売りました。

このようにして55年が過ぎ、ブッダが近くの精舎に住まわれても、一握りの花の供養も、ひと匙の食事のお布施も、およそ功徳のある行為は一日たりとも行いませんでした。

あるとき、チュンダの身体に病が発生し、生きている間に無間地獄のような熱苦が起こりました。やがてかれは豚のように鳴き、家の中で這い回り、七日目に死ぬと、無間地獄に生まれました。

ブッダの弟子の比丘たちは、チュンダの家の入り口で豚の鳴き声を聞いて精舎に戻ると、ブッダに報告しました。「ブッダよ、彼の家の戸が閉められ、豚が殺され、今日で七日目になります。家で誰かが結婚式をしているに違いありません」と。

するとブッダが言いました。「比丘たちよ、そうではありません。チュンダにはその業と同様の事が起こったのです。かれには生きている間に無間地獄の熱苦が生じ、七日間豚のように鳴き、家の中で這い回り、今日、死んで無間地獄に生まれたのです」と。

そしてこの偈を唱えられました。

これがこの因縁話です。

業の報いは必ず自分に返ってくる

自分で行った行為の事を「業(ごう)」といいます。

仏教では、自分で作りだした業の報いは自分で受けると考えています。

いわゆる「自業自得」というもので、いいことをすれば自分にいいことが返ってきます。反対に悪いことをすればその報いとして悪いことが自分に返ってきます。

そして死んだ後には、いいことをしていればいいところに生まれ、悪いことをしていれば悪いところに生まれ変わると考えられています。

さまざまな悪業をなす人は、「私はいいことをせずに、悪いことをした」と、死に際になってから嘆きます。そして、その報いを受けてあの世でも嘆きます。このように、現世と来世の両世で嘆くことになるのです。

屠豚者のチュンダもまた同じで、自分自身の行いを振り返り、その汚れた業を見て嘆いたのです。

だれしもが、「自分はまだまだ長生きする」と考えて、「まあいいか」という思いで悪事を働き、他者を傷つけています。しかし、私たちは他者との関わりの中でしか生きていくことができません。

悪いことをやめて、いいことをする。

これが、人間が人間として生きていくための最善の道なのです。

この偈は法句16と対になっています。あわせてお読みください。

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