貪りの煩悩から心を遠ざける方法

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」にある法句13,14について、その内容を紹介します。

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心を鍛えることが煩悩を遠ざける

あたかも粗く葺かれた家に 雨が深く染みこむように

修習されていない心に むさぼりは深く染みてゆく

「法句13」

あたかもよく葺かれた家に 雨が深く染みこまぬように

よく修習された心に むさぼりは深く染みゆかず

「法句14」

ナンダ長老の物語

この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、ナンダ長老について説かれたものです。

ブッダは素晴らしい法を説かれたあと、ラージャガハへ行き、ヴェール林に住まわれました。そのとき、スッドーダナ大王は、「わが子に会いたい、連れてきてほしい」と、それぞれ千人の従者を引き連れた十人の使者を使わしました。ところが、どの使者もすべてブッダの弟子となったために、戻ることがありませんでした。

やがてブッダは、最後の使者としてつかわされて出家して阿羅漢を得たカールダーイー長老を含む二万人の漏尽者に囲まれて、カピラヴァットゥに行かれました。そして、まず親族の集まる中で、蓮雨の由来を示して法を説かれました。

次の日、ブッダは王宮へ托鉢に入り、「起立において怠ることなかれ」云々という偈によって父であるスッドーダナ大王に預流果を確立させられ、また「善行の法を行うのがよい」云々という偈によって養母マハーパジャーパティに預流果を確立させられました。さらに、食事の勤めが終わると、ラーフラ・マーター(ラーフラの母であるヤソ―ダラー妃のこと)の徳の話にちなむ法を説かれました。

三日目、ナンダ王子の結婚式が行われているとき、ブッダはその場所へ托鉢に入り、ナンダ王子の手に鉢を渡して祝辞を述べられました。そして座から立ち上がると、王子の手から鉢を受け取らずに去ってゆかれました。ナンダ王子はブッダを尊敬するあまりに「尊師よ、どうぞ鉢をお受け取りください」と言うことができませんでした。

ブッダは先を歩いてゆかれたので、ナンダ王子は仕方なく鉢を持ってついて行きました。そのとき、それに気づいた美しい花嫁は、「あなた、早く戻ってきてください!」と叫びました。その言葉は、彼の心にしみわたりました。

ブッダはなおもナンダの手から鉢を受け取らず、彼を精舎へと導きました。そして言いました。

「ナンダよ、出家をしなさい」と。

ナンダはブッダに対する尊敬の思いから断ることができず、

「出家します」

と言いました。

それを聞いてブッダは再びカピラヴァットゥへ行き、三日後にナンダを出家させたのです。

さて七日目、ラーフラ・マーターはラーフラ王子を飾りつけました。そして、「ラーフラよ、あの二万人の沙門に囲まれている黄金色の梵天身のような沙門をごらんなさい。あの方はあなたの父親です。あのお方にはたくさんの財宝がありました。しかし出家をされてから私たちはそれを見ておりません。さあ、遺産を譲っていただきなさい」と言って、ブッダの前に遣わしました。

ブッダの前にやってきたラーフラは、ブッダに言いました。

「お父上、私は王子です。灌頂を受けて転輪王になるつもりです。私には財が必要です。どうか財をお譲りください」と。

しかしラーフラは、ブッダのもとへ行って父親の愛情に触れたことにより、心が満ち足りたのです。

ブッダは食事の勤めを終えて喜びを示すと、座から立ち上がって去ってゆかれました。ラーフラもまた「ブッダよ、私に財をお譲りください」と言ってブッダの後について行きました。ブッダはそれを拒むこともなく、また従者たちもブッダとともに行くラーフラを連れ戻すことができませんでした。

そこでブッダは考えました。「この子が考えている財産というものは輪廻に従う破壊のあるものだ。さあ、かれには菩提の地で獲得される七種の聖なる財を与えよう。かれを出世間の財の相続者にしよう」と。

そしてブッダは、サーリプッタに言いました。「ラーフラを出家させなさい」

しかし、ラーフラが出家をするとスッドーダナ大王はそれを嘆き悲しみ極度の苦しみが生じました。それに耐えることができず、ブッダに告げて「尊師よ、どうか母父の許可がない息子を出家させないようにしていただきたい」と願いました。

ブッダは王の願いを聞き入れて法を説かれました。その終わりに王は不還果を確立しました。このようにしてスッドーダナ大王は、ブッダによって三果を確立させられました。

次の日、ブッダはラージャガハへ行かれました。そのとき、アナータピンディカ長老(給孤独長者のこと)より「サーヴァッティへお越しください」との言葉を受けてジェータ林の大精舎(祇園精舎)が完成すると、そこへ行かれました。このようにしてブッダがジェータ林に住まわれると、ナンダは不満がつのって比丘たちにこのように言われました。「友らよ、私は喜びがなく、梵行を続けられません。学びを捨てて還俗したいのです」と。

ブッダはそのことを聞いてナンダを呼びました。そして三十三天の美女たちを見せて、梵行に励むならば彼女たちを得る保証をしよう、などの種々の方便によってかれを導きました。かれは自分の行動を恥じてひとり修行に励み、まもなく阿羅漢のひとりになりました。

ある日、比丘たちはかれに尋ねました。「以前は不満だと言ってたが、今はどうですか」と。ナンダは答えました。「友らよ、私には在家のことに対する執着はありません」と。

比丘らは不思議に思ってブッダにそれをおたずねしました。するとブッダは言われました。「比丘たちよ、昔の日々には、ナンダ自身は悪く覆われた家のようになっていましたが、今ではよく覆われた家のようになっています。かれは天女たちを見たときから、出家の勤めを最上のものにしようと努力し、それを成就したのです。」と。

そしてこれらの偈を称えられました。

これがこの因縁話です。

心を鍛えることが唯一の悟りの道

粗く葺かれた家に雨がしみこむように、「修習されていない心」には貪りがしみこみます。貪りだけでなく、貪欲、瞋恚、愚痴などの一切の煩悩がそのような心に深くしみこみます。

しかし「よく修習された心」は、よく葺かれた家のように、止観の修習によって、すなわち心の静まりと智慧による洞察によって、貪欲、瞋恚、愚痴などの煩悩がしみこむことはありません。

煩悩を打ち消して悟りを得るためには、修行によって自分自身の心を鍛えるほかはありません。

修習されていない、鍛えられていない心のままでは、貪欲、瞋恚、愚痴の三毒の煩悩が襲い掛かり、いつまでたってもこの世の苦しみから解放されることはありません。

心を煩悩から遠ざけて、よりよく生きていくためには、瞑想によって自分自身の心を鍛えていくしかないのです。

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