お葬式や法事の時に称える「お経」
ところで、お経とは何なのでしょうか。
仏教の歴史の中で、どのようにして経典は成立していったのでしょうか。
簡単に解説します。
経典とは何か
経典とは一般的に、その宗教で教える教義や守るべき規則などが示されている書物のことをいいます。
たとえば、ユダヤ教なら「旧約聖書」、キリスト教なら「新約聖書」、イスラム教なら「コーラン」などがあげられます。
仏教では「経典」と呼ばれるものがひとつに限られておらず、膨大な量が存在します。
たとえば「般若経」や「華厳経」「妙法蓮華経」「阿弥陀経」など、多くの経典が存在し、それぞれの宗派によってよりどころとしている経典が違います。
これら経典のことを「お経」と呼び、仏事のときにはこれをお唱えして故人を供養するのです。
経典はブッダの教え
仏教経典の特色に、その膨大な量があげられます。「八万四千の法門」ともいわれるように、ブッダは多くの教えを残されたのです。
当時、文字のなかった時代だったので、ブッダの言葉は口伝えで伝えられて各地へ広がっていきました。
しかしブッダが亡くなった後、これでようやく教祖の教えの束縛から解放されると喜んだ者がいたために、教団の一致団結を図るために弟子たちが集まり、会議を開きました。
そして、ブッダの教えを正確に後世に残していくために、弟子のアーナンダがブッダの言葉を復唱し、その他の弟子もそれに同意をすることで、アーナンダの言葉がブッダの言葉と違わないことを証明します。
ここにはじめて「お経」と呼ばれるものが成立することになるのです。
経典の始まりは必ず「如是我聞」(私はこのように聞きました)という文言から始まります。この「私」というのはアーナンダのことです。
つまり、お経とはブッダの説法を聞いたアーナンダの言葉をまとめたものであるということになります。
ブッダの直接の言葉ではないにしても、長年間近で説法を聞いていたアーナンダと、それに対して外の弟子たちが間違いないと証明しているところからも、お経はブッダのことばそのものであるといえるのです。
また、ブッダの説法は「対機説法」ともいい、人によってそれぞれ違う話し方で教えを伝えられました。
百人いたら百通りの法話をしていたのです。
そのために、仏教には「八万四千の法門」といわれるような膨大な経典が成立していったのです。
経典はインドから中国、日本へ
ブッダが亡くなって200年が過ぎた頃に、文字に書かれた経典が成立していたことが知られています。
それまでは専ら暗記によってその内容が保持されていました。
その頃にはすでに多くの部派が存在し、各派に分かれて教団が運営されていました。文字に残すのも、それぞれの教団ごとに、それぞれの立場で経典が編纂されていきました。
経典は俗語のパーリ語で書かれ、少し遅れてインドの正式な文章語であるサンスクリット語に移されて、仏典として記録されていきました。
パーリ語の仏典はスリランカに伝えられて、のちに東南アジア全域に広がっていきました。スリランカやタイなど東南アジアの地域では、現在でもパーリ語で仏典が読まれています。
サンスクリット語の経典は漢文やチベット語に訳され、これらは中国大陸を通り、漢訳仏典は6世紀に日本へと伝わってきました。
仏典はそのまま伝わっていない
中国や日本の仏教の起源はもちろんインドにありますが、インドの仏教がそのまま伝えられたわけではありませんでした。
サンスクリット語と中国語では考え方や発想の方法が違ったので、忠実に訳しても元の意味を正確に再現することは難しかったといわれています。
また、仏教以前からある中国の文化の傾向も反映され取り入れられていったので、意図的な異訳もされているということが、サンスクリット原典と漢訳経典との比較研究からも明らかになっています。
次々と生み出された経典
ブッダの言葉をアーナンダが復唱し、その他の弟子がそれを証明したものが経典として成立しました。
しかし、現在伝わっている経典のすべてがアーナンダの言葉というわけではありません。
お経は必ず「如是我聞」から始まりますが、アーナンダが「私はこのように聞きました」と始めることで正式な経典としての形式を取っています。
ブッダ亡き後、教団が上座部と大衆部にわかれ、その中でもさらに分裂していくにつれて「ブッダの本意はもっと深いところにある」と考えるようになってきます。
そして、その本意をあらわそうと「如是我聞」という経典の形式をとって、あらたに多くの経典が作られるようになりました。
中には中国で作られたものも多くあります。
現在、日本で読まれている経典のほとんどが、ブッダ滅後数百年ののちに成立したものとされています。
経典はたとえである
ブッダの真の言葉でないなら、その経典は偽物で信じるに値しないのではないかと思うかもしれませんが、それは違います。
真のブッダの言葉かどうかというのは問題ではありません。
たとえ仏滅後に成立した経典であっても、それを必要とし、それによって救われている人がいるならば、それは真の経典といえます。
また、ブッダは「指月のたとえ」という教えを残しています。
あるとき月を指して「私のことばは、この月を指す指である」と言いました。
ブッダの教えは、この世の真理を知ることであり、この世の真理を知るための方便として多くの言葉を残しているのです。
この世の真理が「月」であり、経典は「指」ということです。
ブッダのことばが真実かどうかと問うことは、月を指す「指」を見ることです。しかし本当に見るべきは真理である「月」なのです。
ブッダ亡き後に成立した経典であっても、それが月を指し示すものであるならば、それはれっきとしたブッダの教えといえるのです。
経典とその内容
経典とその内容について紹介しています。
合わせてご覧ください。
最後に
仏教経典について、簡単に解説しました。
葬儀や法事でお経を読みます。お経を称えることによって功徳があり、この功徳によって故人を供養しています。
しかしそもそも、お経とはブッダの言葉そのものです。
そこには、私たちを真理へと導くための味わい深い言葉がこめられています。
できることなら、お経の内容を理解し、ブッダの言葉に耳を傾けるようにしましょう。