恨みを抱く者の末路とは?

仏教

ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」の法句三、四について、その内容について紹介します。

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恨みを抱く者

「彼は私を罵った、私を打った 私を破った、私を奪った」

このような思いをとどめる者に 怨みが静まることはない

「法句三」

「彼は私を罵った、私を打った 私を破った、私を奪った」

このような思いをとどめない者に 怨みはやがて静まりゆく

「法句四」

ティッサ長老の物語

この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、ティッサ長老について説かれたものです。

ティッサ長老はブッダの従兄弟で、年をとってから出家しました。かれは諸仏の得られる利得と尊敬を受容し、身体が太り、よく打たれた諸衣を広げて、いつも精舎の中央にある講堂に座っていました。

ブッダに会いたいと外からやってきた比丘たちは「彼は大長老に違いない」と思ってティッサ長老の所へ来ました。そして務めなどについて質問をしましたが、彼は黙っていました。そこで、一人の若い比丘が尋ねました。

「あなたは比丘になってから何年たっていますか」

ティッサ長老は答えました。

「何年ということはない。われわれは年をとって出家をしたのだ」

すると若い比丘は

「友よ、訓練を受けていない老人よ、あなたは身の程を知りません。これだけの長老方を見て、奉仕さえもしていないのです。務めについて聞かれると答えることもできず黙り込み、あなたには後悔さえもない」

ティッサ長老は王族の慢心を起こして「おまえたちは誰のもとに来ているのか」と尋ね、「師のもとです」と言われると、「この俺が何者であるかをよく見ろ。おまえたちを根絶やしにしてやる」と言って腹を立てて、憤懣やるかたなく、ブッダのもとへと行きました。外から来ていた比丘たちもまたブッダのもとへ行き、礼拝して座りました。

そこでブッダは、彼らに尋ねました。

「ティッサよ、一体どうしたのですか。そなたは憤懣やるかたなく、目に涙をためてきています」

ティッサ長老が答えました。

「この比丘らが私を罵ったのです」

するとブッダが彼に尋ねました。

「そなたはどこに坐っていたのですか」

「精舎の中央にある講堂です」

「そなたはこの比丘たちがやってくるのを見ましたか」

「はい見ました、尊師よ」

「そなたは立ち上がって、迎えることをしましたか」

「いいえ、尊師よ」

ブッダはこのようにして尋ね、彼に非があることを告げて謝るように言われました。しかし「彼らが私を罵った」と言って謝らりませんでした。

ブッダはティッサ長老が教導しがたい者であると知り、生前でも悪語の者であったことを明らかにされました。そして、

「私はある者によって罵られた、打たれた、などと思う者に恨みは消えないが、思わない者には消える」

と言って、これらの偈を唱えました。

これが法句三、四の因縁話です。

怨みの消し方

この法句三、四の偈はとてもわかりやすいものです。

私を罵った、私を殴った、私を言い負かした、私の持ち物を奪った、と言って怒るのは、人間誰しもあることです。

しかし、いつまでもその怒りを持ち続け、恨み続けることは、怨みによって自分を縛り上げ、怨みがいつまでも消えることはなく、自分自身を苦しめることになります。

しかし、一度現れた怨みの感情をいつまでも持つことなく、怨みを手放し、怨まない者には、やがてその苦しみから解放されるのです。

怨みは、怨まないことによって消すことができるのです。

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