ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」にある法句7,8について、その内容を紹介します。
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この世の正しい見方とは?
「美のものなり」と観続け 感覚器官を護らずに住み
食事に量を知ることもなく 怠けて精進することもない
かれを悪魔が必ず襲う 風が弱木を襲うように
「法句7」
「美のものならず」と観続け 感覚器官を護り住む
また食事にも量を知り 信あり精進努力する
かれを悪魔は決して襲わず 風が岩山を襲わぬように
「法句8」
マハーカーラとチューらカーラの物語
この法は、ブッダがセータヴャ市に近いシンサパー林に住んでおられたとき、富豪の三兄弟の兄マハーカーラとチューラカーラについて説かれたものです。
あるとき、兄マハーカーラはサーヴァッティの人々が花輪や香を持ってブッダの教えを聞きに行くのを見て、行商の車五百台を弟チューラカーラに任せて法を聞きに行きました。
そして、ブッダの説く法を聞いて「すべてを捨てて行かねばならない。あの世へ行く者に財産も親族もついていかないのだ」と思い、出家を決意しました。
弟は引きとめようとしましたがそれも叶わず、そのためにどうにか兄を還俗させようと考えて弟も出家をしました。しかし、彼は落ち着かず、家や妻のことを思いだすばかりでした。
まもなく、かつての妻の誘惑に負けて弟は還俗してしまいました。
一方、信仰心より出家をした兄マハーカーラは、墓地で沙門の修行に励んで阿羅漢になりました。かつての妻は彼を還俗させようと誘惑をしようとしましたが、すべて失敗に終わってしまいました。
ブッダはこの兄弟二人について「弟チューラカーラは美(浄)にとらわれたが、捉われたが、兄マハーカーラは不浄に住み、岩山のごとく不動である」と言われました。
これがこの因縁話です。
この世の正しい見方
人は外見を捉えて、あれは美しい、これは美しい、と判断しています。
目が美しい、肌が美しい、目が美しい、髪が美しい、顔が美しい、手が美しい、足が美しい、身体が美しいと捉えて見ています。
このように自分の好ましい対象に飲み心を向けることを「美のものと観る」といいます。つまりこれは、自分の愛着によって、あるいは煩悩によってものごとを観ているに他ならないのです。
ブッダは、この世を「美のものと観る」ことは誤った見方であり、離れるべき見方であると説かれています。
この世は「美のものでない」と観て、自分の愛着にとらわれることなく、正しく世の中を見なければいけません。すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚器官の門を閉じて、欲望に振り回されないように注意しなければいけません。
欲望にふけり、怒りを起こし、食事の量を知らず、この世を「美のものでない」と観察することなく怠けて精進することがない、これをブッダは「魔が襲う」を表現したのです。