ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」にある法句19,20について、その内容を紹介します。
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実践することの大切さとは?
聖語をたくさん語ろうと その実践がなく怠る人は
他牛を数える牛飼いのよう
「法句19」
聖語をわずかに語ろうと 法に従い行う者は
貪り・怒り・愚痴を捨て 正知(しょうち)し、心がよく解脱して
この世あの世にとらわれず かれは沙門の仲間に入る
「法句20」
二人の友人のものがたり
この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、二人の友人について説かれたものです。
サーヴァッティに住む二人の善家の友人は、精舎に行ってブッダの説法を聞きました。そして出家をして、五年間、師匠と和尚のもとで学んだあと、ブッダを訪ね、しゅぎょうの生活と学問の生活についてくわしく説明を聞きました。
するとひとりは、年老いて出家をしたために修行の生活を選んでこれを満たし、阿羅漢となりました。もうひとりは学問の生活を選んで、経・律・論の三蔵のブッダの言葉を学び、五百人の比丘に法を教えて十八の大集団の師になりました。
あるとき、修行比丘はブッダと八十人の大長老を表敬訪問する際に、学問比丘と出会うことになりました。学問比丘は修行比丘に質問して負かしてやろうと思いました。そのときブッダは、学問比丘がその罪によって地獄に落ちてはならないと、あらかじめ用意された座に座り、学問比丘にまず問われました。初禅から非想非非想処に至る教えについて、かれはすべて答えました。しかし、預流については何も答えられませんでした。
そこでブッダは修行比丘にこれを尋ねると、修行比丘はこれを答えました。その後の問いに対しても、学問比丘は答えられませんでしたが、修行比丘は答えることができました。
ブッダは彼を称賛し、これを聞いた神々も、龍も金翅鳥(こんじちょう)もすべて彼を称賛しました。
これがこの因縁話です。
語ることよりも実践すること
どのようにたくさんの法を聞き、教えを学び、またそれを語ろうとも、自ら実践しなければ、正しい学びの者、沙門にはなりません。
言い言葉をたくさん知り、それを人に語ったところで、その人自身が言葉と違う行動をとっていれば、説得力のかけらもありません。
それはまるで、早朝に師を受け取って夕方には主人に返し、賃金のみを受け取る牛飼いのようです。このような人は牛の五味(牛乳やバターなど)を何ら味わうことができません。
そのように、学問ばかり学んでいても、実践することがなければそれが実生活で生かされることもなく、味わいのない人生になってしまいます。
反対に、わずかだけでも学問を理解して教えの通りに実践し、その道を得たならば、それはあたかも牛飼いから牛を戻された主人のように、牛の五味を思う存分味わうことができます。
味わいのある生き方をするためにも、教えに基づいて実践するように心がけましょう。