ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第二章」にある法句26,27について、その内容を紹介します。
不放逸は○○のようである
愚かで智慧なき人々は 怠けることに耽りゆく
智慧ある者は努めることを 至宝のように守りゆく
「法句26」
怠けに耽ることなかれ 欲楽に親しむことなかれ
怠けず禅に勤しむ者は 大安楽を得るゆえに
「法句27」
バーラナッカッタの物語
この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、バーラナッカッタについてとかれたものです。
あるとき、サーヴァッティ(舎衛城)で、愚かしい星祭の開催が宣言されました。
その星祭には、愚かで智慧のない人々が身体に灰や牛糞を塗って、七日間、卑しい言葉を語りながら歩き回りました。かれらは、どのような親族、知己、あるいは出家者を見ても、恥じることはありませんでした。それぞれの入り口に立っては卑しい言葉を語りました。
人々はそれらを聞くに堪えず、力に応じてお金を与えると、かれらはそれを受け取って立ち去っていきました。
そのころ、サーヴァッティには五千万もの在俗の聖なる弟子が住んでいました。
かれらはブッダに信書を送りました。「ブッダよ、あなたは七日間、比丘僧団とともに都に入らず、精舎のみにおとどまりください」と。そこで、かれらは七日間、比丘僧団のために精舎へ粥食などをとどけて、自らも家を出ることはしませんでした。
そして星祭がおわった八日目、ブッダを主とする比丘僧団を招待し、都で大布施を行って、このように申し上げました。「ブッダよ、私どもにとって、この七日間の経過は大変苦しいものでありました。愚かな者たちの卑しい言葉を聞きますと、耳が潰れそうでした。誰も恥を知らないのです。そのために、ブッダには都の中に入っていただくことができず、また私たちも家から出ることはありませんでした」と。
するとブッダは、「愚かで智慧のない者たちの行為はそのようなものです。しかし、智慧のあるものたちは不放逸を財宝のように守り、不死の大涅槃を得るのです」と言って、これらの偈を唱えました。
これがこの因縁話です。
不放逸は財宝のよう
愚かな者たちは、この世、あの世の理を知りません。すなわち、因果応報、輪廻転生によって、今自分が生み出している業の結果としてその報いを受け、あるいは来世に再び生まれ変わると言うことを知りません。
このような人は、怠けて努め励むことを知らず、放逸によって現在の時間を過ごしています。
対して智慧のある人は、、法の滋養である智慧をそなえて、不放逸を家に代々伝わる最上の財宝のようにして守っています。
これは例えば、無上の財宝によって財宝の功徳を見てそれを守るように、賢者は不放逸によって不放逸の功徳を見て、それを最上の財宝のようにして守っているのです。
それゆえに、怠けに耽ることなく、放逸に時間を費やしてはいけないし、欲に親しんで快楽などの渇愛に親しんではいけません。怠けることなく、不放逸に、念をそなえて、禅に勤しまなければいけません。
それによって、だれもが大安楽、すなわち涅槃という真の安らぎを得ることができるのです。
不放逸は、善を生み出すための根幹です。
怠けることなく、精進努力し、努め励みましょう。