八幡神は、日本で最も多くの神社で祀られる神として知られています。
その数は、全国に約11万社ある神社のうち、実に4万6百社余りに及ぶといわれていますが、この圧倒的な数の背景には、八幡神が朝廷や武士、そして庶民から長年にわたり深く崇敬されてきた歴史があります。
それでは、どのような歴史や由来があるのでしょうか。
八幡神とは
八幡神(「はちまんしん」とも読む)は、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本宮とする八幡宮や八幡神社で祀られる神です。
もともとは九州の地方神で、『古事記』や『日本書紀』には登場しませんが、東大寺の大仏建立に助力したことなどから朝廷に崇敬される神となりました。
また、応神天皇の神霊とされることから、皇祖神としても大切にされてきました。
八幡神を祀る神社
八幡神は日本で最も多くの神社で祀られている神とされています。
全国約11万社の神社のうち、4万6百社余りが八幡神を祀る神社といわれています。
このように多くの神社が存在する背景には、朝廷や武士からの厚い崇敬があります。
八幡神を祀る神社の総本宮である宇佐神宮の起源は明確ではありません。
奥宮がある御許山(おもとさん)の巨石信仰や、託宣を重視するシャーマニズム、銅の採掘や鋳造に関連する信仰が関係していると考えられています。
宇佐神宮の社伝によれば、八幡神が示現したのは571年、本殿(一之御殿)が建てられたのは725年とされています。
八幡神と隼人の乱
八幡神が朝廷から重視されるきっかけとなったのは、720年に九州南部で発生した隼人の乱を神威によって鎮めたことでした。
この出来事は宇佐神宮にとっても大きな意味を持ち、現在でも10月の放生会で隼人の鎮魂が祈られています。
769年、弓削道鏡による皇位簒奪未遂事件が起きた際、八幡神の託宣によってその野望が阻止されました。
このことにより、八幡神は国家の危機を救う神としてさらに崇敬を集めました。
八幡神と東大寺の大仏
朝廷が八幡神を直接崇敬するようになったのは、東大寺大仏建立の際に八幡神が助力を約束する託宣を下し、神輿で東大寺まで現れたことがきっかけでした。
この出来事を通じて宇佐神宮と朝廷の関係が深まって、八幡信仰と仏教の結びつきも強化されたといわれています。
宇佐神宮では神仏習合が進められ、781年には八幡大菩薩の称号が贈られました。
八幡神の神像は僧の姿で作られ、僧形八幡神と呼ばれるようになりました。
石清水八幡宮の創建
860年には京都府八幡市に石清水八幡宮が創建され、八幡信仰は朝廷との結びつきをさらに強めました。
この頃から、八幡神を応神天皇と同一視する説が広まり、石清水八幡宮は伊勢神宮と並ぶ「二所宗廟」とされました。
平安時代後期になると、八幡神の武神としての性格が注目され、武士の間で信仰が広がりました。
特に源氏は氏神として崇敬し、自らの所領に分社を建てました。鎌倉の鶴岡八幡宮もその一つです。
三社託宣と庶民信仰
近世には伊勢神宮(天照大神)・八幡宮・春日大社の託宣を一軸に書く「三社託宣」が普及し、八幡信仰は庶民にも広がりました。
八幡神は、日本全国で多くの人々に信仰される神として現在に至っています。
八幡神を祀る神社
宇佐神宮
日本全国の八幡神社の総本宮で、八幡信仰の中心地です。
八幡神を祀る最も古い神社として知られ、朝廷や武士から深い崇敬を受けてきました。
571年に八幡神が最初に示現したとされ、725年に本殿が建立されました。
ここから宇佐神社が始まり、全国へと八幡神の信仰が広がっていきました。
国家の危機を救う神として信仰され、東大寺大仏の建立にも力を貸ています。
神社でありながら仏教の要素を取り入れた「八幡大菩薩」としての信仰が広まりました。
また、宇佐神社は三殿造りという珍しい形式で建てられていて、国宝にも指定されている由緒ある神社です。
神社の奥宮がある山では、古代の自然信仰を色濃く残しています。
毎年10月に行われる放生会は、隼人の乱に関連する鎮魂祭として行われ、たくさんの人が参拝に来られます。
石清水八幡宮
石清水八幡宮は宇佐神宮から分霊を受けて創建された歴史ある八幡宮で、京都近郊の山頂に位置します。
古くから皇室や武士に信仰され、「やわたのはちまんさん」の愛称で親しまれています。
創建は860年で、平安時代には皇室の守護神として崇敬されました。
伊勢神宮と並んで、「二所宗廟」として国家的に重要な神社とされています。
八幡大神が応神天皇と同一視される説が広まった発祥地でもある、非常に重要な神社です。
本殿は江戸時代に再建されました。とても美しい建築で、国宝にも指定されています。
山の頂上にあるので、春には背割堤の桜並木が美しく、参拝と合わせて楽しむ人が多いです。
また、神社の境内から湧き出す水は、石清水の湧き水といわれ、昔から霊水として信仰されています。
参拝者が、毎日のようにその水を求めて汲みに訪れています。
鶴岡八幡宮
鎌倉幕府を開いた源頼朝が源氏の守護神として創建した神社で、鎌倉の象徴的な存在です。
武士の信仰を集めた八幡宮の一つで、鎌倉文化を感じられる場所でもあります。
鶴岡八幡宮の創建は1180年で、鎌倉に遷都した源頼朝が建立したといわれています。
頼朝以降、源氏の繁栄を祈る重要な神社とされました。
そのため、武士階級の心の支えとなっていて、全国に影響を与えました。
舞をするための舞殿は、美しい朱塗りの建物なのが特徴で、ここで結婚式や神楽の奉納が行われます。
9月に行われる伝統的な弓馬術の行事である流鏑馬神事では、みごとな技を拝見することができます。
鎌倉時代を再現した装束も見どころではないでしょうか。