「後悔しない生き方は死を意識するだけ」自分らしい生き方をするためにやっておくべきこと

「後悔しない生き方は死を意識するだけ」自分らしい生き方をするためにやっておくべきこと 生き方

「もっとやっておけばよかった」「あのときこうしておけばよかった」などと、思い返してみると後悔するようなことばかりしてきてはいないでしょうか。

「後悔」は文字通り、後から悔やむことです。

そのときに取った行動に対して、後から悔やむことは、人間の性かもしれません。

しかし、できることなら後悔なく生きていきたいものです。

ひいては、命終わるときには、満足のいく人生だったと後悔することなく死ぬことができれば、これほどすばらしいものはないのではないかと思います。

後悔しない人生を送るために、本当に意識しなければいけないことや、やっておくべきことは、一体なんなのでしょうか?

参考あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 [ ひすいこたろう ]

後悔しない生き方をするために

後悔とは文字通り「後から悔やむ」ことです。その時はよかったり、何も考えずに行動したことが、後になって「もっとやっておけば」とか「あのときこうしておけば」と悔やむことはよくあることではないでしょうか。

後悔は、すればするほど不幸になっていってしまうことがわかっています。

自分が不幸だと感じてしまうと、そのネガティブな感情からまた新たに後悔する心を生み出してしまいます。

後悔は後悔を生み、自分をより不幸へと導いていってしまうのです。

このような後悔ばかりの生き方から抜け出すには、どうすればいいのでしょうか。

実は、たったひとつのことを意識するだけで、劇的に変わるのです。

○○を意識すること

後悔しない人生を送るために大切なこと。

それは「死を意識すること」です。

人間はこの世に生まれてきたからには、必ず最後は死んでいかなければいけません。

それも、いつ死ぬかは誰にもわかりません。50年後かもしれないし、明日かもしれないし、もしかしたら次の瞬間には死んでしまっているかもしれません。

こんなんことは、だれでも知っていることです。子どもでも知っていることです。

しかし、それを本当に理解しているでしょうか?

「人間はいつ死ぬかわからない」ということを知っていながら、誰かが亡くなったときに人間はなぜなくのでしょうか。

いつ死ぬかわからないことは知っているはずです。

突然の病気で急に死んでしまったり、交通事故にあったり事件に巻き込まれたりして死んでしまうなんてことが起こりうることも、知っているはずです。

それなのに、なぜ事が起こったときには泣くのでしょうか。

いつ死ぬかわからないことはわかっているはずなのに、なぜ泣くのでしょうか。

結局、それが人間であるとしかいいようがないのです。

仏教では「智慧」がないといい、こういう人間の事を「凡夫(ぼんぶ)」というのです。

知ってはいるけど、わかったつもりになっているだけで、実際のところはきちんと理解していないのです。

死をきちんと理解し、あるいは本当に意識していないから、後悔する人生を送ることになるのです。

人生は80年、30000日しかない

人間の一生は長いように見えて、過ぎてしまえば本当にあっという間です。

「もうこんな年齢になってしまった」と思うことはよくあることではないのでしょうか?

子どものころは、30歳なんてまだまだ先だと思っていたのに、気がついたら通り越して40歳になっているのです。

同じように、気がついたら80歳を迎え、あれよあれよと死期が迫っているのです。

人生80年もあるのではないのです。

80年しかないのです。

例えば、一年に一度満開に咲く桜ですが、今30歳なら、あと50回しか桜をみることができないのです。

日数になおしたら、およそ30000日しかありません。

一日1円の貯金をしても30000円、一日100円の貯金をしても300万円しかたまりません。

こんなの税金で一瞬のうちになくなってしまいます。

さらに、一日の3分の1は睡眠時間です。

活動している時間なんて、ほんのわずかにしか過ぎないのです。

成功する人は死を意識する

仏教では、すべての人の心には「仏性」が宿っているといいます。

仏性とは、すべての生き物が生まれながらに持っている、仏となることができる性質のことをいいます。

仏というとどこか宗教的な感じもしますが、完全で完璧な人間のことを仏というのです。

仏性を持っているということは、人として完璧な人格を持っているといえるのです。

しかし、それは煩悩に覆われて表に現れることがありません。人間の欲や怒りの心に覆われて完璧な人格を表にあらわすことができず、自ら悩み苦しんでいるのです。

これを嘆いたある修行僧がいました。すべての人が仏性をもっているのに、なぜ社会で成功する人もいればしない人もいるのだろうか。

その疑問を、道元禅師に尋ねました。道元は鎌倉時代に活躍した、曹洞宗の開祖です。

道元はこのように答えました。

「成功する人は努力する。成功しない人は努力しない、その差だ」

なるほど。しかし修行僧は、また疑問がわいてきました。

すべての人が仏性を宿しているのに、なぜ努力する人と努力しない人がでてくるのだろうか。

道元は答えました。

「努力する人には志がある、努力しない人には志がない、その差だ」

しかし修行僧は、またしても疑問がわきました。

すべての人が仏性を宿しているのに、なぜ志がある人と志がない人がいるのだろうか。

道元の答えはこうでした。

「志のある人は『人間は必ず死ぬ』ということを知っている、志のない人は『人間は必ず死ぬ』ということを本当の意味で知らない、その差だ」

修行僧は納得し、修行に励んだといいます。

死を忘れるな

古代ローマでは、戦争に勝った将軍が凱旋のパレードを行いました。

その際、従者をつけて必ずある言葉をささやかせたそうです。

「メメント・モリ」

これは「死を忘れるな」という意味です。

いまは絶頂期にあるが、そんな中でも明日はどうなるかわからないということを思い起こさせました。

死を忘れずに意識させることによって、有頂天になることを抑制したのです。

自分がいつか死ぬことを忘れなければ、有頂天になることもなく、ものごとを正しく判断できると考えられていました。

「命がけ」という言葉がありますが、まさに命をかけて生きていたのです。

死ぬ前にもっと冒険をしておけば

90歳以上の高齢者に聞いた、こんなアンケートがあります。

「90年の人生を振り返って唯一後悔していることはなんですか?」

これに対して90%の人が々答えでした。

それは

「もっと冒険しておけばよかった」

このまま生きていたら、5年後、10年後、どうなっているでしょうか。

このままの人生を過ごしていたら、人生最後の瞬間に後悔することにならないでしょうか。

この世の最大の不幸はなんでしょうか。

それは、死が間近に迫ったときに自分の人生に後悔することです。

死ぬ前に後悔することこそ、最大の不幸です。

しかし、それを避ける方法がたった一つだけあります。

それは、死を意識することです。

死を意識し、死と向き合うことで、後悔しない生き方をしていきましょう。

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