ブッダの教え『ダンマパダ(法句)』について、ここでは「第一章」にある法句六について、その内容を紹介します。
『ダンマパダ(法句)』全文の一覧はこちら
プライドが身を滅ぼす
他の者らは知ることがない 我らはここで死ぬのだと
しかしそこで知る者らに どの争いもそれより静まる
「法句六」
コーサンビーの比丘の物語
この法は、ブッダがジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたときに、コーサンビーの比丘について解かれたものです。
コーサンビーに近いゴーシタ僧院に、それぞれ五百人の弟子に囲まれて住む二人の比丘、すなわち持律師と説法師がいました。
ある日、説法師はトイレに入り、洗浄水を容器に残したまま出ました。その後に持律師が入り、その水を見ました。出てからその説法師に尋ねました。
「友よ、この水を残したままにしたのはあなたですか」
すると説法師は言いました
「そうです。友よ」
「あなたはこの場合、罪になることを知らないのですか?」
「ええ、知りません」
「この場合、罪になります」
「もしそうであれば、懺悔します」
「故意ではなく、失念して行ったのであれば、あなたみ罪はありません」
ところが、持律師は自分の弟子たちに「あの説法師は罪を犯しながら知らない」と告げました。すると彼らは説法師の弟子を見て「おまえたちの師匠(説教師)は罪を犯しても罪であることを知らない」と言いました。
それを聞いて彼らは、師匠である説教師にこのことを報告をしました。すると説教師はこのように言いました。
「あの持律師は以前は無罪だと言いながら、今になって罪だと言っている。あの者は嘘つきだ」
すると今度は説教師の弟子が持律師の弟子の元へ行って「おまえたちの師匠(持律師)は嘘つきだ」と言いました。
このようにして不和が拡大していきました。やがて彼らを信じている信者たちも、教誡を受ける比丘尼たちも、あるいは守護神たちでさえ二派にわかれた。ブッダは彼らに対して「和合するように」と諭しましたが、彼らは聞きませんでした。
ブッダはこの町を去り、パーリレッヤカに近いラッキタ密林で、パーリレッヤカの象に仕えられて雨期の安居を過ごされました。コーサンビーに住む信者たちはブッダがおられないことを知り、失望し、比丘たちに布施をしなくなりました。
比丘たちは反省し、お詫びをしました。そこでブッダは「そなたらは私の言葉を聞かず、負担を作っている」と言われました。
これがこの因縁話です。
プライドは我が身を滅ぼす
普通の人にとって慢心ほど抜きがたいものはありません。すなわちプライドが許さないことがよくあります。愚かな私たちはほんの些細なことにこだわり、争いを生みます。
自分がかわいく、自分が正しく、一時の栄誉のために自分の間違いを認めないような行動が、自分も他人も苦しめることになるのです。
ブッダはそれを「われわれは止息する」「われわれは亡ぶ」「われわれは死王に近づく」ということを知らないからである、と表現します。つまり、「われらはここで死ぬのだ」ということを知らないということです。
自分が死ぬことを知らないが故に、プライドを捨てることなく、わがままを押し通しているのです。
自分が正しいという慢心、プライドは、我が身を滅ぼす原因になります。自分の行く末をしっかり見据え、目的を定め、知るべきことを知ることが肝心です。