「神さま」と「仏さま」
どこでもよく聞く言葉ですね。
神さまも仏さまも、日本での宗教や信仰において重要な役割を果たしていますが、その関係や違いについて正確に理解している人は意外と少ないのではないでしょうか。
実はもともと全く別の信仰からうまれたもので、その性質や信仰の対象には大きな違いがあります。
ここでは、神と仏の関係や違いをわかりやすく解説し、それぞれがどのような役割を担っているのか、わかりやすく解説していきます。
神と仏の違い

神と仏はどう違うの?
簡単にいうと、「神」は神道における信仰対象、「仏」は悟りを開いてあらゆる苦しみや迷いを超越した境地に至った者と仏教が説くものです。
本来、このふたつはまったく無関係のものでした。
しかし、奈良時代頃より神道と仏教の融合が進み、神と仏は異質なものではないという考えが普及していきました。
これを神仏習合といいます。
ところが、明治の神仏分離によりこうした説は否定され、神社から仏教的要素は排除されるようになりました。
神と仏の関係は?
縄文・弥生時代の遺跡から神像らしきものが出土しているので、当時から「神」が信じられていたことは確かだと考えられています。
こうした神は、自然の脅威や不思議な現象に対する畏れ、あるいは獲物や作物などが豊かであることへの願いから生まれたものと考えられ、そうした意味では神道の神と共通しています。
これに対し、仏教で説く仏は、人が目指すべき目標です。
仏教の開祖・釈迦は人が苦しむのは煩悩によって心が惑わされているからで、正しい知識や正しい修行によって煩悩を払い、真理に目覚めれば苦や悩みから解放されるとしました。
そして、悟りを開いて煩悩を消し去り完全な境地( 涅槃)に入った者のことを仏(ブッダ)と呼んだのです。
仏の境地に至るのは容易なことではないが、不可能ではありません。
しかし、人が神道の神になることはありません。
菅原道真など強い怨みを持って死んだ者も神として祀るようになるのは奈良時代後半頃からで、神道本来の信仰には人を神として祀るものはないのです。
このように神と仏は本質的に異なるものであり、仏教伝来後しばらくは同一視されるようなことはありませんでした。
神仏習合とは?
ところが、8世紀頃になると神社に隣接して寺院(神宮寺)が建てられたり、神前での読経が一般化するなど、神仏の習合が徐々に進んでいきました。
当初は、神を悟りに至れず迷っているもの、あるいは仏教の護法神(仏教に取り込まれたバラモン教の神など)に準じるものとみなしていましたが、平安中期頃になると神を仏の化身と考える本地垂迹説が広まっていきました。
本地は本来の姿、垂迹は仮に現した姿という意味です。
例えば、天照大神は大日如来または十一面観音、熊野権現は阿弥陀如来、須佐之男命は薬師如来の化身とするもので、神社の境内には本地を祀る堂も建てられました。
また、「インドの王侯が日本に渡ってきて日本の神となったが、これは仏の化身であった」というような神話も作られ、社寺の縁起に取り入れられていったのです。
神仏習合の中から日本独自の尊格(崇拝対象)も生まれました。
蔵王権現・飯綱 権現・清滝 権現などがその例です。
ちなみに「権現」は「仮に現れた」という意味で、仏の垂迹としての神を示す言葉です。
庶民の信仰においても神仏習合は進み、七福神のように神と仏を一緒に祀ることも多かったのです。
神仏習合といっても、神と仏が混同されたわけではありません。
神社と寺院は区別されていましたし、仏を神棚に祀ったり、神を仏壇で祀るようなことはありませんでした。
ただし、大黒天のように神としても仏としても祀られる両義的な尊格もあったのです。
さいごに
「神さま」と「仏さま」は、もともとは全く異なる存在でしたが、日本では長い歴史の中で少しずつ交わり、共に信仰されてきました。
それぞれの特徴を知ることで、神社やお寺にお参りするときの気持ちも、少し変わってくるかもしれません。
今度訪れるときには、そこに祀られているのが「神」なのか「仏」なのか、そしてどんな意味が込められているのか、ちょっと気にしてみてはいかがでしょうか。
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