ブッダの教え『ダンマパダ』について、ここでは第3章「心」にある法句37について、その内容を紹介します。
心を制御することの大切さ
遠くに出かけ、独りさまよい
実体を持たず、洞窟に潜む
かかる心を制するならば
魔の縛りから解脱する
法句37
サンガラッキタ長老の物語
この法は、ブッダがサーヴァッティ(舎衛城・祇園精舎)に住んでおられたとき、サンガラッキタ長老の甥について説かれたものです。
阿羅漢であるサンガラッキタ長老のもとで、その甥が出家して比丘になりました。
あるとき、甥は二組の衣を得て、雨安居があけると長老のもとに行きました。そして、一組の衣を長老の足下に置いて「どうぞこれをお使いくださいますように」と差し出し、ターラ葉の扇で長老を扇ぎました。
長老はかれに「私には衣は十分です。おまえが使いなさい」と言いました。
かれは何度も差し出しましたが、長老は受け取りません。失望したかれは、このように言いました。
「ああ、長老様は私と共有することを嫌がっておられるのだ。私は還俗するより他はない。とすれば、この衣を売って牝ヤギを飼おう。それを増やしてお金を得る。やがて結婚して、息子が生まれ、そして車で妻子とともに長老さまを訪問する。その途中、息子が車から落ちてひかれる。私は怒り狂い、妻を棒で打つ・・・」と。
そして、思わず長老の頭を扇で打ち付けてしまいました。
長老はとりとめもなく空想していたかれの心の内をすべて知り、かれに「お前は妻を打つことができなかったのです。それなのになぜ大長老の頭を打ったのですか」と聞きました。
かれは正気にもどり、恥じて言いました。
「私には沙門の資格がない」と。
そしてターラ葉を捨てて逃げ出しました。
そこで沙門たちは彼を捕まえ、ブッダのところに連れて行きました。
ブッダは「比丘よ、案じることはありません。貪・瞋・痴の縛りから脱すればいいのです」と言いました。
そして、この偈を唱えられました。
これがこの因縁話です。
心を制御すること
心を制御することの大切さが説かれています。
心は遠くにあっても、何かしらの対象をとらえるから「遠くに出かけ」ます。
また心は生じるときには一つ一つ生じ、それが生滅すればまた一つ一つ生じます。このようにして2つの心が同時に生じることがないので、「独りさ迷い」ゆくものだというのです。
そして、心には身体のように形や色などの区別がないので「実体を持」ちません。
「洞窟」とは、物質を構成している4つの要素のことで、すなわち地・水・火・風の四大をさします。
このような心を制御するならば、魔の縛り、すなわち貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩の縛りから解放され、解脱にいたることができるのです。
物語の主人公であるサンガラッキタ長老の甥は、衣を受け取ってもらうという自分の望みが叶えられなかったことから、その心にとらわれ、ありもしない空想にふけって、長老を扇で打ち付けてしまいました。
心を制御することができれば、ムダな妄想をすることもなく、扇で長老を打ち付けることもなかったのです。
日常生活を滞りなく過ごしていくためにも、心を整えていかなければいけないのです。