「鬼は外!福は内!」
節分になると、あちこちで元気なかけ声が聞こえてきます。
ところで、その歴史や意味については知らない人も多いのではないでしょうか。
ここでは節分の歴史や由来について、詳しく紹介していきます。
節分の歴史と由来
節分の歴史
「鬼は外! 福は内!」という掛け声とともに豆をまいて鬼を祓う日が節分です。
節分は元々は読経を行ったり、物忌み(静かに家にこもること)をしたりする日だったといわれています。
元来節分とは、邪気(鬼)が忍び込みやすいといわれる季節の変わり目のことをいいました。
かつては立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を指す言葉であったのです。
現在では立春の前日である2月3日を節分と呼んでいます。
節分の豆まきの歴史と由来
豆まきの歴史
節分のときには豆まきがつきものです。
豆まきのことが記された最も古い文献は、室町時代の伏見宮貞成親王(1372~1456)の日記である『看聞日記』と、足利義満(1358~1408)以後3代の室町幕府将軍に関する記録『花営三代記』です。
この頃にはすでに都の公家や武家の間で豆まきが広まっていたと考えられるのです。
これが庶民の間に豆まきの風習が広まったのは江戸時代以降になってからとされています。
最近では、家族の中で父親が鬼の役をすることが多いと思いますが、父親は本来、豆をまく年男の役を務めていたといわれています。
節分に豆まきをする理由
節分の日に豆まきをするのは、悪魔のような鬼の目(魔目)をめがけて豆を投げれば、“魔滅”、魔が滅することができるからだといわれています。
「豆」と「魔目」というように、言葉の音がかぶっていることからもわかるように、豆は鬼を祓う道具でありながら、鬼そのものととらえられていたと考えられています。
豆=鬼だから豆を家の外に投げる時に「鬼は外」と叫ぶというのです。
豆まきは、中国から大儺の風習が伝わり、文武天皇の時代の706年に「 追儺(ついな)(鬼やらい)」という宮中行事となったことから、日本で始まったといわれています。
追儺の行事は、方相氏 という役人が4つの目のついた黄金の面をかぶって、矛と盾を持って悪鬼を追い払う儀式であす。
炒った豆を使うのはなぜ?
節分では「炒った豆」を使います。
その理由に、このようなお話が残されています。
昔、人を食べる鬼がいました。
その鬼に神さまは豆を渡して言いました。
「この豆から芽が出たら人間を食べていいが、出ないうちに人を食べたら罰を与える」
鬼は豆をまきましたが、待っても待っても豆から芽は出てきません。
それもそのはず。その豆はあらかじめ炒ってあったものだったのです。
そして、とうとう鬼は人を食べることがなかったというのでした。
このお話から、節分では炒った豆を使うとされているのです。
節分の鬼やらい
追儺という行事は、悪霊を祓うための年中行事として、大晦日の夜に宮中で盛大に行われていました。
追儺は室町時代に宮中から社寺に普及しました。
社寺では毎年、年男(その年の干支に生まれた男)が炒った大豆をまいていたといわれています。
もともとは鬼やらいと節分とは別の行事で、それぞれ違う時におこなわれていました。
旧暦の太陰太陽暦では立春と正月が重なることが多かったために、いつしか追儺と節分が結びついて、節分の行事として豆まきが行われるようになったといわれています。
節分の食べ物
豆を年の数だけ食べる
節分の時に年の数だけ豆を食べる習慣は「歳年食べ」(としとしはらい)と呼ばれて、その背後には様々な信仰や縁起の良い意味があります。
まず、年の数だけ豆を食べることで、その年の厄を払い、新しい年に向けて清めるとされています。
これが吉祥や縁起の良いことを招くと信じられています。
また、豆は五穀の一つであり、五穀豊穣を祈る象徴として扱われます。
年の数だけ豆を食べることで、五穀の豊かな恵みに感謝し、豊かな収穫を願うという意味合いもあります。
こうした習慣は、地域や家庭によって異なる解釈や伝承が存在するかもしれませんが、一般的には歳年食べが節分の行事において、邪気払いや良い年を迎えるための儀式として行われています。
恵方巻き
節分の時の食事として、「恵方巻き」を食べる人も多いのではないでしょうか。
節分の日には、太巻き寿司を恵方(めでたい方角)を向いて、切らずに一本丸ごと無言で食べきると一年間健康でいられるといわれています。
太巻きを食べるのは「福を巻き込む」という言葉が由来となっていると伝えられています。
なぜ無言でなくてはならないのか由来はわかっていませんが、一般的には話しながら食べるのは恵方にいる歳徳神に失礼だからだといわれています。
「恵方巻き」の風習を行っていたのは江戸時代の大坂の商家で、1990年代後半に日本全国に広まったようです。
イワシとヒイラギ
豆まきのほかに、鬼が嫌うヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺したものを戸口に立てておく風習もあります。
戸口にヒイラギとイワシを立てるのは、鬼がイワシの悪臭とヒイラギの葉の棘を嫌って退散すると考えられていたからです。
これは、イワシの頭のようなつまらないものでも信仰すれば尊いものに見えるという意味の言葉「鰯の頭も信心から」の語源だといわれています。
また、「福は内」と家の中にまいた豆は、後で拾い集めて炒り、年の数だけ食べるという古い風習も残っています。