ブッダの教え『ダンマパダ(法句経)』について、ここでは「第一章」にある法句9,10について、その内容を紹介します。
『ダンマパダ(法句)』全文の一覧はこちら
外見よりも内面を磨き心を整える大切さとは?
汚れを除き去らずして 袈裟の衣をまとおうと
調御(じょうご)と真理にほど遠い かれは袈裟に値せず
法句9
しかし汚れを除き去り もろもろの戒に安定し
調御と真理をそなえる かれこそ袈裟に値する
「法句10」
デーヴァダッタの袈裟獲得の物語
この法は、ブッダがジェータ林に住んでおられたとき、ラージャガハ(王舎城)のデーヴァダッタの袈裟獲得について説かれたものです。
あるとき、ブッダの弟子であるサーリプッタとデーヴァダッタの二人がジェータ林からラージャガハに出かけました。そこでサーリプッタは布施を受けて随喜し、このように法を説きました。
「布施をするものは様々である。しかし、自ら布施をして他にも布施を勧めるものは、どこに生まれようとも財を得て、眷属を得る」と。
これを聞いて人々は次々と布施をしました。
そんな中、ある長者が10万金の価値のある布を施すことになり、誰に施すべきかをみんなで検討したところ、デーヴァダッタに決定しました。彼はこれを受け取ると、裁断し、調整し、染めて身にまとい、歩き回りました。
ところが人々はそれを見て「デーヴァダッタにはふさわしくない、サーリプッタ長老にこそふさわしい」と言いました。
これを聞いたひとりの比丘がブッダに報告しました。ブッダは二人の弟子の安否を問われた後、その比丘に「デーヴァダッタは今だけでなく、前世でもふさわしくない衣をつけていたのである」と言って、昔のことを話されました。
「かつてのデーヴァダッタはゾウ殺しであった。あるとき、ゾウたちが辟支仏(びゃくしぶつ)に親しんで袈裟に礼拝することを知ったデーヴァダッタは、頭から袈裟をまとって座り、礼拝するゾウたちの背後から刀で切りつけて殺し、牙などを得ると、残りを地に埋めて帰った。それ以後、彼はこのようにしてゾウを殺し続けた」と。
これがこの因縁話です。
心を整えることの大切さ
内面の心を整えることなく、外見をどれだけ飾っても、それは虚飾に過ぎず、やがてその結果が過不足泣く現れることを教えています。
たとえ袈裟を身にまとっていても、むさぼりなどの汚れを除くことなく、眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの感覚器官を整えることもなく、言葉の真実でもある「真理」からも離れているものは、名前ばかりの出家者です。
そしてこれは出家者だけにとどまらず、すべての人にもいえることです。他者に対して外面ばかり気にして身分や立場などを強調するばかりで、内面が整っていない人がいるのはよくある話です。
上司の立場を乱用して言いたい放題やりたい放題し、そのくせ責任もとらず仕事もしない人。都合の悪いときだけ父親ヅラ母親ヅラをして子供にきつくあたり、普段はていたらくで何もしない人。
外見ばかり取り繕い、内面である心を磨くことがなければ、その人はいずれその見返りを受けて悩むことになるのです。